1992年の欧州最優秀3歳牡馬チャンピオンに輝き、日本では長きに渡り種牡馬として暮らしていた
ロドリゴデトリアーノ。
それほど多くない産駒の中からも、オークス馬エリモエクセルを輩出するなど健闘していた同馬でしたが、昨年種牡馬生活を引退。JBBA静内種馬場で功労馬として余生を送っていました。
しかしこの7月に体調を崩し肺炎を発症。懸命の治療が施されたもののその甲斐なく5日に息を引き取ったことが、このたびJBBAより発表されました。
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ライバルに恵まれ過ぎた種牡馬生活
◆92年欧州最優秀3歳牡馬ロドリゴデトリアーノ死ぬ / 予想王TV本馬は1992年英愛2000ギニー制覇などGI・5勝を挙げ、欧州最優秀3歳牡馬チャンピオン。現役引退後93年から静内種馬場で供用を開始。97年、98年には日本軽種馬協会所有種牡馬としては初めてのシャトル種牡馬となっていた。2013年七戸種馬場での供用を最後に種牡馬を引退し、静内種馬場で功労馬として余生を送っていた。
日本に導入されることが決まった時は、大物種牡馬として大きな期待が掛けられていたロドリゴデトリアーノ。
しかし今思えば同馬が種牡馬入りした時は、ちょうどサンデーサイレンスやブライアンズタイム、トニービンといった日本競馬に革命をもたらした大物種牡馬たちと同じ時期だっただけに、少し不運な面があったかも知れません。
しかも当時の日本の生産界といえば、長い間に渡り強い影響力を示していたノーザンダンサー系の時代が、ようやく陰りを見せ始めた時期。
当時の馬産地にはノーザンダンサーの血を持つ繁殖牝馬が溢れかえっており、ノーザンダンサー直系の孫に当たる同馬にとって良い繁殖を確保するのは大変だったと思います。
そういったことを考えれば、長い年月にわたり種牡馬としての仕事を務め上げ、エリモエクセルのような良駒を競馬界に送り出したロドリゴデトリアーノは、いま世間一般に与えられている評価よりも実は優れたサラブレッドだったのでは?
もう少し生まれてくるのが遅ければ。今のようなサンデー系全盛の配合相手に困らない時代に日本に輸入されていたならば、もっと違う種牡馬生活もあったのではないか?
今回の訃報に接し同馬の事跡を振り返る中で、ふとそんなことを思いましたね・・・。
長きに渡り日本競馬に貢献してきた名馬、ロドリゴデトリアーノの冥福を心から祈ります。
◆1992年インターナショナル・ステークス(英GⅠ)◆
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