筆者にとってアイドルホースと呼べる存在が、1993年の有馬記念で奇跡の復活劇を遂げたトウカイテイオー。
その偉大なるトウカイテイオーの愛娘と言うべき存在が、2003年の阪神ジュベナイルフィリーズを制したヤマニンシュクルだ。
偉大なる父に、初めてのGⅠタイトルをプレゼントした孝行娘。
その孝行娘が最後に勝利の美酒に浴した舞台が、2006年の中山牝馬ステークスであった。
●良血のお嬢様●
ヤマニンシュクルは父トウカイテイオー、母ヤマニンジュエリーという配合で、2001年4月1日、北海道静内町(現・新ひだか町)のヤマニンベン牧場で誕生した。
父トウカイテイオーは説明する必要も無いほどの名馬だが、その母系も中々の名牝系。
祖母のティファニーラスは、1986年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬に輝いた文句のつけようが無い名牝。
そして他にもメローフルーツやオレンジピール、ヤマニンベルメイユ、ヤマニンキングリーといった重賞ホースが何頭も誕生している、素晴らしい母系なのだ。
このような素晴らしい血統背景を持つ彼女は、言わば良血のお嬢様という存在だったと言えるではないかと思う。
●順風満帆だった2歳時・3歳時●
2003年の7月。函館競馬場でデビューしたヤマニンシュクルはデビュー戦を快勝した後、とんとん拍子で出世街道をひた走ることになる。
デビュー3戦目のコスモス賞を快勝しオープン入りを果たすと、名馬への登竜門と言われる札幌2歳ステークスで3着に健闘。
年末のGⅠ阪神ジュベナイルフィリーズでは、牡馬と互角に戦ってきた実力を発揮し快勝。一気に世代の頂点へと駆け上がった。
年が明けて3歳となっても、彼女はその高い能力で活躍を続ける。
桜花賞3着、オークス5着、秋華賞2着と、常に牝馬クラシック路線で上位争い繰り広げたヤマニンシュクル。
彼女は間違いなく、この世代の主役を務めた1頭だったと言えるだろう。
●屈腱炎との戦い●
そんな順風満帆の競走生活を送っていたヤマニンシュクルに、突如大きなアクシデントが襲い掛かる。
それが競走馬にとって不治の病と恐れられる屈腱炎の発症。華々しい競走生活を歩んでいた彼女は、一転して長く苦しい闘病生活を送ることとなってしまったのだ。
●病に打ち勝ち、見事な復活走を見せる●
闘病生活に入り、ちょうど1年後の2005年11月。
彼女は見事病に打ち勝ち、ターフに戻ってきた。
彼女は復帰緒戦のエリザベス女王杯で4着と健闘し皆をアッと言わせると、続く鳴尾記念こそ7着と崩れるが、復帰3戦目の京都牝馬ステークスでは僅差の4着と好走。一走ごとに本来の姿を取り戻していく。
そして迎えた2006年の中山牝馬ステークス。
デビュー以来はじめて1番人気に支持されたヤマニンシュクルは、道中は中団を追走。4コーナーで外に持ち出されて追撃を開始すると、直線では馬場の外側を父トウカイテイオー譲りのダイナミックなフォームで疾走。必死に追い縋るディアデラノビアの追撃を完璧に封じ込めた彼女は、そのまま先頭でゴール板を通過!!
見事、2歳時の阪神ジュベナイルフィリーズ以来となる、勝利の美酒を味わった。
父トウカイテイオーは何度怪我に襲われても、その都度見事な復活を果たした不屈の名馬であったが、娘も不治の病と呼ばれる屈腱炎に打ち勝ち勝利を手にした。
その不屈の精神はやはり父親譲りのモノだったのだろう、父を髣髴とさせる素晴らしい快走だった。
●そしてその血は次世代へ・・・●
その後も、クイーンステークスで2着に入るなど活躍を続けていたヤマニンシュクルだったが、結果的にラストランとなってしまった2006年のエリザベス女王杯において、右前浅屈腱不全断裂を発症。残念ながら引退することとなった。
現在はその傷も癒え、北海道新冠町の錦岡牧場で繁殖牝馬として生活している。
貴重なトウカイテイオーの血を次代に繋いでいくためにも、彼女には大きな期待が掛けられている。
祖父や母の不屈の精神が仔に伝われば、きっと素晴らしい競走馬に成長していく筈。今からその活躍が楽しみでならない。
競馬はブラッドスポーツと呼ばれている。
次代へと連綿と受け継がれていく夢・想い・・・競馬を楽しむ大きな醍醐味の一つだろう。
他のスポーツでは決して味わえない大きな喜び。
競馬とは本当に素晴らしい。彼らの走る姿を見るたびに、そう想わずにはいられない。
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