先日、今年度の顕彰馬選定の記者投票の結果が発表された。
それによると、今年はエルコンドルパサーが全体の7割以上の得票を集めたが、規定(全体の4分の3以上)の得票数に達しなかった為に、顕彰馬の選出はされなかったとのこと。
結果を聞いて『またか・・・』という印象を持ってしまったのは、私だけではないだろう。
そもそも競馬の殿堂って、何の為に存在するのだろうか?JRAのホームページには『JRAの発展に多大な貢献のあった過去の名馬を称えるため』とある。
ではエルコンドルパサーやスペシャルウィーク、ダイワスカーレットといった今回それなりに票を集めた名馬たちは、JRAの発展に貢献しなかったと言うのだろうか?
いやいや、そんなことは無いだろう。
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だいたい日本の競馬殿堂って、選定条件が厳し過ぎやしないだろうか?
日本競馬の歴史は意外と古く、150年以上の歴史を持っている。JRAにしたって1954年に創設だから、およそ60年近い歴史になる訳だが、ここまで選出された顕彰馬の数は30頭に満たない。
正直、これは少ない。私はこの倍以上は選出されていてもおかしくないと考える。
しかし私みたいに『もっと選定条件を緩くすべき』と発言すると、必ず登場するのが『それでは権威が無くなる!』と主張する人たちだ。
確かにそうかも知れない・・・しかしである。そんなに『権威』って大事だろうか?
そんなモノより大事なのは、過去に日本競馬を支えてくれた馬たちに対する、心からの感謝の気持ちではないだろうか?
今の厳しすぎる選定条件を見ていると、競馬殿堂の権威を守ることばかり優先され、過去の名馬たちの功績を軽んじ、冒涜しているような印象を持ってしまうのだ。
競馬殿堂の存在意義は、過去の名馬たちの功績を称え、それに感謝の気持ちを示すことにあると私は考える。
日本競馬はそれこそ数え切れないぐらいの名馬たちの貢献により、ここまで発展することが出来た。さすがにその全てを顕彰することは出来ないだろうが、出来るだけ多くの馬の功績を称え、後世に『彼らのおかげで日本競馬は発展することが出来たんですよ』と伝えていく。
それこそが本当の意味での、競馬殿堂の存在意義ではないかと思う。
今まで選出されてきた29頭の顕彰馬たち。彼らがそれぞれに素晴らしい実績を残し、日本競馬の発展に寄与してきたことは疑いない事実だ。しかし、彼らだけの力で日本競馬は発展してきたわけではない。
ここに選出されていない、数多くの競走馬の命を削るような貢献が有ってこそ、日本競馬はここまで人々に愛され、発展してくることが出来た。もっともっと多くの馬たちが、その功績を称えられるべきだと私は考える。
何年か前。東京競馬場内に有る競馬博物館を訪れ、競馬殿堂を見学したことが有る。展示そのものは確かに素晴らしかったが、展示内容が少ないせいだろうか?どこか殺風景で、寂しかった印象が残っている。
別に顕彰馬が増えれば華やかになる訳ではないだろう。しかし顕彰馬が増えることで必然的に中身が濃くなり、何よりも彼らが活躍した当時の競馬風景が、より克明に浮かび上がってこないだろうか。
競馬殿堂を訪れることによって、多くの競馬ファンが過去の名馬に尊敬の念を持ち、日本競馬の歴史を実感できる。そんな場になってくれれば最高なのだが・・・。
今の競馬殿堂には、過去の名馬たちに対する感謝の気持ちが足りない。
日本競馬をここまでの隆盛に導いた、数多の名馬たちに対する感謝の気持ちを忘れぬために。本当の意味での競馬殿堂の確立を、関係者にはお願いしたいと思う。
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競走馬時代以上に種牡馬としてすごい活躍してるので。